[本から学ぶ]自分で考えることについて

こんにちは。はるまきです。皆さん、読書は好きですか? 私は幼少期は全く本を読んでませんでした。単純に面白みを感じなかったんですよね。でも大学生のことから少しずつ読書することや、学ぶことに面白さを感じ始めました。著名人では東進ハイスクールの林先生は「僕は、読書をしない人は嫌い」と仰っています。一方でメジャーリーガーのイチロー選手は読書を一切しないそうです。その理由は「他人が自分の中に入ってくるのが嫌いだから」だそうです。また、表紙が一丁前な自己啓発系の本とか最近本屋さんに多いですよね(私の気のせいかな?笑)。

 今回はショウペンハウアーの「読書について」を読んでみて私が思ったことや、皆さんに考えて欲しいことを書いていきます。

読書とは何か?

さてさて、読書とはなんでしょうか?なんとなくググってみると、

本を読むこと。 本を読むことの意義や目的はさまざまであるが,大別すれば教養を高めるため,知識・情報をとり入れるため,そして娯楽のためという三つに分類することができる。しかし,これらは明確に区別しえない場合も多い。

https://kotobank.jp/word/読書-582612 コトバンクから引用

らしいです。まぁ、読んで字の如く、本を読むことでした。当たり前ですね。しかしもっと広い意味で考えると、私は「自分の考えを深める手段」だと考えています。正確には、ショウペンハウアーの「読書について」を読んでそう思い始めました。正確には考えるようになりました。

自分で思索することが大切。

他人が述べたことを鵜呑みにしたり、すぐ納得する人って多いですよね。私も正直、その傾向があります。「有名なあの人が言っていることだから正しいだろう。」「あの人が言うなら真似してみよう。」などなど。でも結局それって「自分」を失っているんじゃないかなって思います。以下、ショウペンハウアーの「読書について」から引用します。

他人から学んだだけに過ぎない真理は、我々に付着しているだけで、義手義足、入歯やロウの鼻か、あるいはせいぜい他の肉を利用して整形鼻術がつくった鼻のようなものにい過ぎないが、自分で考えた結果修得した心理は生きた手足のようなもので、それだけが真に我々のものなのである。

読書について ショウペンハウアー ”思索” より

私はこれを読んでッハと気がつきました。他人の教えに学ぼうとしていたことを恥ずかしく思いました。今まで、自分の考えなんてほとんどなかったわけですよね。お恥ずかしい。

 そこから私は、読書や(もっと広い意味でいうと)他人からの教えとは、自分の考えを手助けするものに過ぎないんだなと思い始めました。あくまでの軸は自分自身の中にあるべきなんだと思います。

結論

考える人


他人の教えを鵜呑みにするな!自分の頭で考えろ!!私も自分できちんと考えられる人になりたいと思います。

以上!簡単ではありますが、お伝えしました。

※ ショウペンハウアー の読書についての授業