死ぬことは悪いことなのか?[死シリーズその1]

2020年2月22日

こんにちは。はるまきです。今日も生きてます。皆さんは生きてますか?このブログを読んでいるのだからそりゃ生きてますよね。さてさて、皆さんは生と死についてどんな考えがありますか?「死んだらどうなるのか?」「死ぬのは怖い。」「自殺はダメ」などなど。

この「死シリーズ」では、著書「死について」で有名なリード大学のシェリー先生の考えや言葉も交えながら、僕なりの考えを述べたいと思います。

死の定義について

まず死の定義を明確にしたいと思います。ここでは宗教的な考え方は排除して考察を進めていきたいと思います。宗教的な考え方と言うのは、仏教の輪廻転生やキリスト教の天国や地獄のような概念です。それらを排除した後に考えられる死の定義とはなんでしょうか。

「死とは無の状態である」

と、シェリー先生はまず述べます。何もない状態ですね。イメージとしては寝ている状態です。五感はもちろん働いていませんし、考えることもできない状態です。

では、脳死状態はどうでしょうか?身体はまた暖かく、心臓は動いていますが脳は死んでいるので、考えることはできません。意識がないので五感も働いていません。僕の感覚的には、これは生きているとは言えないと思います。賛否両論だとは思いますが、まず人間は考え得てなんぼの生き物だと思っています。意識があり、思考できてこそヒューマンなのです。これに似ていることをシェリー先生も述べています。シェリー先生はいわゆる「人間らしさ」を「人格がある状態」と表現しています。

また、体は機能していないが、(まさに全身ロボットのイメージ)脳は機能している状態は生きているといえるでしょうか。ここでも賛否両論だとは思いますが、僕は先の理由から、これは生きていると判断することにします。

シェリー先生の表現や意見も参考にしながら、結論として、僕の「死シリーズ」では死を「人格がない状態」を意味することとします。


 死は悪いこと?

死は「悪い」のでしょうか。ここでは、「本人が死に、本人が被ること」に限定して話を進めます。(「Aさんの妻にとってAさんが死ぬことは悪い」などは排除。他人は登場させない。)

結論から言うと、剥奪説によれば、死は悪いものになります。

剥奪説とは、「あなたが生きていれさえすれば教授できたはずの幸福を

、死はあなたから奪い去る」と言う考え方です。つまり、私たちは死んでしまうことで、得られたはずのものが得られなくなってしまう。だからそこ、死は悪いのだ、ということです。

私も同意します。確かに死ぬことを恐怖に感じるのは、何かをもう得られなくなってしまう時ですよね。少なくとも僕は。将来にもっと楽しいことがあるはずなのに、死んでしまえば、無であるから、それらを感じることはできません。

これは逆に言えば、将来に何もハッピーがないことが分かれば、死んでも「悪くない」ことになります。これに関しては次のトピックで触れます。

また僕が高校くらいの時にテレビで見たのは、ヨボヨボのおじいちゃんが、「私の人生は素晴らしく幸福でした。もう望むものは何一つありません。いつ死んでも後悔ありません」的なことをおっしゃってました。当時の僕からしたら、意味がわかりませんでした。ですがよくよく考えてみると、剥奪説的に考えると少しだけ理解できます。なぜなら、死は彼から何も奪えないのですから。


死が良い場合

一方で、死が良いケースはどんな時でしょうか?剥奪説と同じような考え方をするのであれば、それは「生が苦しい時」です。

僕たちが生きていれば、いじめ、過労、金銭や人間関係のトラブルなどの多くの苦悩があります。それらから解放されるのであれば死はいいものになるのではないでしょうか?

つまり、合理的に判断するのであれば、「これから受ける幸福」と「これから受ける不幸」を比較するのです。比較して、幸福量が多ければ生き、不幸が多ければ、命を落とすことが最も合理的判断になります。

例えば、重い病気にかかってしまった時です。治る見込みは一切なく、日に日に痛みが増していきます。それは命を落とすまで続きます。以下の図。

点Bからあなたは病気にかかるとします。どんどん体は痩せ細っていき、自由が効かなくなります。そして点Dからあなたの幸福度はマイナスになります。点Dから寿命が来るまでずっと幸福度は減少していくとします。

そのような、今後もおそらくは不幸が増していくだろうというときは、安楽死や自殺も1つの手段と考えられるのでしょうか?それとも、それでも正しくないのでしょうか?

結論

今回は将来の幸福の合計値を考え、それらを比べることで、死ぬことが悪いことなのか良いことなのかを考えました。多くのツッコミどころがあったと思います。それは次のトピックで触れていこうと思います。今回の結論としては以下です。

・剥奪説によれば、死はたいていの場合悪い。→得られたはずの幸福を失う

・将来得られるであろう幸福値と不幸値を合算して、死ぬことが良いことか悪いことかを判断しようとした。

以上になります。でも結局、死って怖いよねって思います。僕的には、どこかで輪廻転生や天国を信じたいでぇす。次回をお楽しみに。